薬指に光る金の輪、それは不変の証だった
Pledge to the Ring
駅近くのショーウィンドウに飾られる白いドレスとそれ。
ほんの二十年前には一般的ではなかった風習の一つだ。それは海外では一般的であっても、この国では珍しいことだった。だが、今は一般的になっている。車内でもお揃いのそれをつけている二人組はよく見かけた。ほとんどが若い者たちだが、たまに年配の者も見る。
「……いつまでも一緒にいる、不変の証……」
「道子?」
もうすぐ自分たちはそれぞれ所属が変わる。名は変わらないが、枠組みが変わってしまう。属するものが変わっても、自分たちは変わらない。変わらず走り続ける。そんな証が欲しかった。
「ねえ陽子。わたしね……」
あと五ヶ月で国 鉄解体、民営化。
関係者のほとんどが慌ただしく動き回る中、在来線の分割は決まったが高速鉄道の分割はいっこうにまとまらなかった。在来線とは違う運行システムがそれを難解にさせる。一度は東と西に分割する案が有力だったが、収益面で東が明らかに劣ると判断され、提出した書類は突き返された。
「……どうしろっていうのさ、上の人たちは」
「東海道が断トツで稼いでるからなあ」
「考えるしかないだろう」
「……ああ」
執務室の入り口近くに備えられているテーブルを囲み、上官位を戴く四人は頭を抱えた。
「新幹線だけで、ってのじゃより偏るからだめなんでしょ?」
「最初に却下されたな」
堂々巡りをする考えに、やってられない、とばかりに上越は身体をソファに投げ出した。それを咎めるように眉根を寄せた東海道だが、この事案が思ったよりも厄介なことから致し方ないと声には出さなかった。
「東海道がどちらについても収益が偏るか……」
「……わたしのせいではない」
「解ってるって」
上越がソファにかけたことをきっかけに、それぞれが近くにあるソファへ腰掛けた。解決しない事実が精神的疲労を増加させ、それが身体にも及んでいるような気がしたからだ。
「あ」
しばし誰もが声を、物音すら立てない中、山陽が母音を一つ発した。六つの目が一気に彼に注がれる。
「おれ、思い付いちゃった」
「言ってみろ」
組んでいた脚を元に戻し、彼は身を乗り出して得意げな表情をして続けた。
「東北と上越は東。おれが西。で、東海道、おまえが中央ってのはどうだ?」
「中央?」
「そ。東は関東信越から東北地方の在来線と東北と上越を、西は近畿圏から中国地方の在来線とおれ。で、中央は東海地方の在来線と東海道。中央は東海道の収益が大きい分、在来を東海地方だけにすればちょうどバランスが取れるんじゃないかなって」
山陽の口から紡がれた案を東海道がホワイトボードに綴る。三つに分かれた本州国 鉄の分割を見て、初めに頷いたのは東海道だった。
「これならば収益に大きな差はないな。山陽、貴様にしてはいい考えではないか」
「……東海道ちゃん、おれにしては、って余計だから」
「じゃあこれでいい?」
「おれも構わない」
「決まりだな。な? 東海道」
三人を眺め、東海道は頷いた。
「各々準備を進めるよう」
国 鉄高速鉄道の定めは決まった。
三社に分かれる案が思ったよりもすんなり通り、それが決定となって三ヶ月。
周りは慌ただしさを増す。元より過密な運行を余儀なくされていた高速鉄道は三社への分割も相俟って多忙を極める。
今まではすべての高速鉄道の主な執務室がこの東京駅にあるものだったが、四月からはそれぞれ所属するJ Rの本社が中心となる。変わらず東京駅の執務室は使用するが、今までの意味合いとは違う。
東日本となる東北、北子、上越、越子はここを中心とするようだ。あまり場所のない上野よりはいい、とのことだ。
彼らと所属を違うことになる、と思うと寂しい。彼らが高速鉄道となってまだ五年も経っていないのに。
自分のものが少なくなりつつある机を見るとよりその寂しさが増してくる。
寂しさを実感しつつも、時は流れる。今日も片付けをそこそこに、自分が所属することになるJ R東 海の発足前会議に参加しなければならないのだ。
「行くぞ、道子」
既にアタッシュケースを手にした東海道に促され、書類をまとめるだけで本日の片付けは終わった。
名古屋に向かうひかりの中、東海道は一言も言葉を発しなかった。時間が惜しいのか、分厚い書類の決済を進める。自分もやるべきなのだろうが、ここ数日でより実感した寂しさにそれに手がつかない。東海道が見咎めることをしなかったのは、その寂しさを解っているからだろうか。それはどうにも判断し難いが。
会議終了後、本社が置かれる地になるのだから知っておかなくては、と二人で駅前へ出た。
この名古屋にあるビルは東京にあるものよりは高くないが、ビルが並ぶその町並みは東京に近い。
そして、やはりこの地にも以前見たショーウィンドウと似たようなものがあった。白いドレスと、それ。一緒にいるという不変の証の。
「どうした?」
自分でも気付かないうちに足を止め、それを見ていたらしい。先に進んでいた東海道が戻り、隣に立っていた。
見ていたものを理解した彼は、顔をしかめる。
「わたしたちには無縁のものだろう」
知っている。そう返した。
だが、あの小さな輪が持つ意味は同じなのではないかと思った。
「……不変の証。あったらいいなって」
「そんなものなくとも我々は……」
「解ってる。でも……」
自分たちは変わらない。志も目指すものも。心は決まっている。
ただ寂しいだけなのだ、と思う。
その寂しさを埋めるただの輪、だと彼は言うだろうが、証を身につけていれば忘れない。不変であることも。そして、彼らと一緒に過ごした時間も。
「……解ってるわ。夢みたいなことだって」
振り切るように二つ寄り添うそれから目を離し、東海道が進んでいた方向へ足を進めた。
そのとき彼がそんな表情をしていたかは解らない。
一九八七年四月一日。国 鉄が解体され、J Rとして再出発の日。
それは高速鉄道がそれぞれ所属が変わる日でもあった。
しかし、所属が変わっても、今日も東京駅の執務室に全員が集まっていた。東海道が集合をかけたのだ。
「初日にどうしたのさ」
国 鉄時の制服と変わらず前をはだけた上越はソファに腰掛け、東海道を見上げる。各々の会社の式典に参加した後、東海道が呼び出しをかけた。その真意は電話口で語られることはなく、ただ淡々と呼び出しだけを伝えたことにそれが彼は不満を感じたのだろう。
「急にすまないと思っている。だが、今日やっと届いた」
「届いた?」
頷いた東海道は黒い艶やかな紙袋を取り出した。
「本当は昨日渡せればよかったのだが、注文が急だったようで間に合わなかったんだ」
「ふーん。で、それなに?」
「指輪だ」
そこで道子ははっとした。しかし、道子のそんな様子を見ていない東海道は言葉を進める。
「我々は三社に分かれる。だが、これだけは忘れるな。別の所属になろうが、志は同じであり、目指すものも然り。この指輪に誓え」
「別に指輪じゃなくてもいいんじゃない?」
「様々なものを考えてみたが、これか一番でぴったりなのではないかと思っただけだ」
八個の紺の小さなケースを紙袋から取り出して、テーブルに置く東海道に道子は声をかけようと名を呼んだが、視線で制されてしまった。何も言うな、ということだ。
「今日から嵌めてもらおう。そして、存在し続ける限り永久に身に付けるように」
東海道がそのケースの蓋を開ける。そこには少し大きいが『J R』と刻印された不変の証があった。
道子は鼓動が速まるのが解った。
今目の前に証がある。不変ということを示すそれが。
恐る恐る己のそれを手にすれば、金のそれは重かった。自分たちが背負うべきもの、成さなければならないことの重みを示しているように。
「では、東北と上越から嵌めてもらおう」
彼らの前に二つのケースを置く。東海道が言うには、それぞれには各々の名が内側に刻んであるという。
「ほら」
「はいはい」
東北の無骨な指が上越の左の薬指へそれを通す。そして、今度は上越が。彼の動きはなめらかなものだった。
「僕たちは国 鉄のときに生まれたけど、J Rになっても変わらないよ」
「ああ」
薬指におさまった指輪を見ながら上越と東北が誓った。
「越子、手出して」
「う、うん」
差し出された小さな手に北子がよどみない動きで細い薬指に通す。反対に越子の動きはたどたどしいものだったが、可愛らしくて微笑ましかった。
「私たちも変わらないわ。ねえ越子」
「ええ。私たちは私たちよね」
手を握り合い、彼女たちも誓う。
「今度はおまえだ」
「は? おまえからじゃねえの?」
「いいからさっさと手を出せ」
東海道はたじろぐ山陽の手を強引に引っ張り、大きな手を包んでいた白い手袋を剥ぐ。そして、少し乱暴な動きで薬指にリングを嵌めた。
「……色気もなんもありゃしねえ」
「何か言ったか」
「いーえ、なんにも。ほら、次はおまえだろ」
すっと差し出された手を山陽は恭しく手にし、そっと手袋を外す。手袋によって隠され陽が当たらないそこは白かった。金のリングがよく映えるだろう。
ゆっくりとそれを嵌める。そして、ぴったり嵌ったそれに山陽の唇が口付けを落とした。
「おれは誓う」
「き、さま……誓うのは、わたしにではないだろう」
「解ってる。でも、こうしたいんだ」
あまりのことに東海道がぴくりとも動かなくなったのをいいことに、山陽はまた口付けを落とす。だが、今度は細い指と掌から作られた渾身の一撃が山陽の腹に命中した。そこを抱えて蹲った彼から背を向けた東海道だったが、耳が赤くなっていた。
常と変わらない彼らにどこかほっとした。
「あんな馬鹿はほっといて、私たちも」
呆れたというような笑みを浮かべた陽子が手を取り、手袋を外そうとする。
「待って陽子」
やんわりと彼女の手を止めれば、綺麗な彼女がどうしたの、と首をかしげて問いかけてくる。
「わたしからしてもいいかしら?」
「構わないけど……」
「ありがとう」
彼女の自分より少し大きい手を取り、手袋を外す。白くて綺麗な手だった。こんなに間近で見たのは初めてで一度ぎゅ、と握る。
そっと指輪をケースから取り出し、ゆっくり彼女の薬指に嵌めた。
今度は彼女が道子の手を取り、同じように嵌める。
そのまま彼女の手を握り、鼓動を刻む位置へと寄せる。
「わたしたちはJ Rのもの」
国 鉄だろうがJ Rだろうがそれは不変のもの。
「わたしたちはJ Rと結婚しているようなものね。今日であなたとも別々の会社になってしまったけれど、志は、目指すものは変わらないでしょう? この不変なものを忘れないわ。わたしはこの指輪に誓う」
金がぶつかるような感覚が手の中でした。
「変わらない証、できてよかったわね」
陽子が、悪戯が成功したような、嬉しそうな笑みを浮かべて小さく囁いた。
彼女に頷き返して、東海道を呼んだ。
「ありがとう」
感謝を口にすれば真っ直ぐに見ていた彼が視線を逸らし、小さく言う。
「……不変の証があってもよかろう。誓いも立てられた」
まだ赤みが残る耳を見て、彼に微笑み返した。
ありがとう。
わたしたちは変わらない。鉄の轍の上に変わらず立つ。
どんな困難が待ち受けていようとも。
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