過去があるが故、現在は現在
鋭い目線を覆うように掛けられている眼鏡の縁がきらりと光る。これは目の前の人物がろくでもないことを言い出す前兆だ。
「山陽、貴様。はととしてわたしと姉妹特急だった頃の奴を見てみたくはないか?」
「なんだよ、急に。九州さんはいつも急だなあ」
「聞け。貴様も本心では見たいと思っているのだろう」
足をゆっくり組み替え、眼鏡のつるを押し上げて内心を探るように鋭い視線が山陽を見下ろす。
軍事路線として自分が存在していた頃特急つばめの後ろについて歩いているところを遠目に見たことはあったが、それはほんの少しだけだった。彼に関して山陽の記憶にあるのはほとんど東海道新幹線としての彼のみである。
「昨日執務室を整理していたらわたしが特急つばめだった頃のものが出てきてな。もうほとんど処分したと思っていたが、一部残っていたようだ」
白い手袋に包まれた指が胸ポケットから紙を取り出した。
「その中にこんなものがあった。業務に関する書類ばかりの箱だったから大方紛れ込んだのだろう」
その紙は白い指に弾かれテーブルの上を滑る。端ぎりぎりに止まったそれはまだ裏のままだった。手に取るとそれなりに厚みがあった。現在の写真に使用される用紙よりは薄いが、当時としては高級なものだったのだろう。
「見てみるがいい」
促されるままにその紙を裏返した。
「これが……」
「特急はとだ。わたしの合間を走った存在感が薄い特急」
国鉄特急の黒い制服に身を包む青年。今よりは少し若く姿形に大きな変化はない。その青年は紛れもなく彼だ。だが、決定的に違うのはその表情。
真っ直ぐに結んだ唇に、己を見失わないようにと何か大きなものに懸命に耐えているような黒目。
こんな顔は知らない。時々怒ったり泣いたり無邪気に無自覚に笑みを浮かべたりするが、常に己の行く先を信じて自信に満ちた目しか知らない。
「貴様を伝書鳩のように使うのは昔と変わらん行動だが、今はどうなのだろうな。わたしは高速鉄道になってからの奴は知らん」
口先では気にしつつももう興味はないとばかりに、写真を弾いた指が今度はテーブルに散らばった資料を集める。
「それは貴様にやろう。昔の奴と今の奴、比べてみるといい」
また手元へ視線を落とした。そこに写る彼はさっき見た表情と変わらない。
これは今の彼とは違う。
自分の知る彼は東海道新幹線。世界に誇る高速鉄道の一人だ。
「いらね」
山陽は九州が集めている資料の上へ九州がしたように写真を弾いた。
「今オレと架線を繋いでるのは東海道新幹線。特急はとじゃないんだよ。もう比べる気ににもなんないわ」
「気になっているとばかり思っていたんだが。……まあいい。2011年新大阪で顔を合わせるのが更に楽しみになるな。奴にもそう伝えておけ」
「……あんま刺激しないでくれよ? 直通開始日早々遅延とか運休とか起こしたくないし」
「あれ次第だろう」
資料を写真と一緒にまとめ、テーブルに端に置くと九州はソファの背に寄り掛かりふんぞり返る。
「何事もなく直通運転開始できることを祈ってるよ、九州」
目の前に未だ散らばる己の資料を同じように集め、脇に置いておいたファイルに無理矢理押し込める。度重なる会議や日々の報告書でこのファイルもそろそろ限界かもしれない。
じゃあ今日は終わり、とファイルを脇に抱え立ち上がる。
「本当にいいのか」
「いいって。何度も言わせんなよ」
そうか、と九州も資料を手に立ち上がる。
「欲しいだろうと思ったのだがな」
「さっき言ったろ? あいつは東海道新幹線。オレにはそれで充分だ」
「……実際はどうだか」
東海道新幹線と共に東の東京から西の大阪・福岡へ、また西から東へと日本を他よりも最速を目指して横断する。それは東海道新幹線と自分しかできない。
そして、自分にも軍事路線としての過去があるように彼にも特急としての過去がある。高速鉄道になった者にはそういう過去が多い。しかし、互いにその過去に知らないことが多いのも事実。だったら現在、更にここから未来へ高速鉄道として続いていければいい。
「実際も何もオレの気持ちは変わんねえよ」
背を向け、山陽は歩き出す。
「さーて、戻りますか!」
彼が接続を待っているだろう新大阪駅へ。自信に満ちあふれ、尊大な態度で待っているその彼が東京へ走る為に。
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