※陽子×道子の百合的表現が含まれます。百合を許容できる方のみお進みください。












Asymmetry or Symmetry



 空気を裂くようにスピードを出していた車両はじょじょに減速をし、上りの終点である東京駅の新幹線ホームへ近付く。同じく車窓を流れる夕焼けの風景もゆっくりと流れる。見慣れた風景に身体からふと少し力が抜けた。それは安心故か。
「三日ぶりの東京か」
「そうね。誰かさんが報告書をさぼったせいで」
「……それは言わねえ約束だろ」
「東海に出さなきゃならない報告書までぎりぎりだったんだから東海道から小言を言われる覚悟でいることね」
 げんなりとした山陽に陽子は小さく笑いを漏らした。その様子に降車の準備をしている東海所属の車掌も笑いを漏らしそうになって咳払いをしている。盛大に笑ってやっていいのよ、と言いたいくらいだ。
「ほら着くわよ」
 わずかな揺れと共に白い車体が寸分の狂いもなくホームに停車をする。自分たちもアタッシュケースを手にし、最後の乗客が降りたところを見計らい車掌に続いて下車をした。山陽がその車掌と車両の側で運行状況や連絡事項等の情報を交わしていると、背後から名を呼ばれた。山陽、と三日前に聞いた声で。その声の方へ振り返れば名古屋方面側のホーム端に東海道が立っていた。
「待っててくれたの、東海道」
「貴様が東海へ提出する報告書を待っていただけだ」
「執務室で待ってりゃいいのに」
「お前が! いつも期限ぎりぎりに提出するからだろう!」
「そうかあ? でも、間に合ってるだろ」
 だからいいじゃん、と山陽が続けると東海道の目がきりりとつり上がった。これは確実に地雷を踏んだと陽子は溜め息をこぼした。
「本日中に提出せねばならない。すぐに本社へ行く。貴様の責任だ、付き合え!」
 東海道は山陽の腕を掴むと、大股で靴音も高々に歩き出す。今から一番早く名古屋へ到着するのぞみへ乗るつもりらしい。そののぞみ249号の発車ホームは階段を下りた向かい側の16番ホームだ。
「ちょ、おい東海道、オレ戻ったばっかりなんだけど……」
「自業自得だ!」
「休憩ぐらいさせてくれよー」
「そんな暇はない! あと五分で発車だ!」
「はいはい、痴話げんかはそこまでにして仲良く名古屋までいってらっしゃい」
 離れていく二人に陽子が手を振ると、山陽から休憩できる自分へうらやましいと物語る視線が向けられた。だが、今に至った経緯には山陽に非がある。東海道の言葉の通り自業自得だ。それに。
「……本当は一緒にいるのが嬉しいくせに」
 一車両分離れている二人には聞こえないほどの大きさで言葉を紡いだ。
 もどかしいほどに、こちらがいらつきそうになるほどに山陽は先に進まない。日々進歩する技術に自分たちは以前より速く先へ進むのに、山陽の気持ちだけは先への一歩を踏み出さない。自分たちはいつだって前へ進むのに矛盾している、とは山陽の気持ちを誰よりも早く気付いた時から思っていた。そして、山陽は今の関係が崩れることを恐れて先へ進むことは当分ないだろうということも理解した。本当にもどかしい。
「陽子、道子は執務室にいるぞ」
 急に立ち止まり振り向いた東海道の言葉に意表を突かれ少しばかり目を見張ったが、心が浮つくような感覚がそれをすぐに和らげた。
「あらそう。お茶の相手でもしてもらおうかしら」
 歩みを再開して並んで階段を下りていく二人を見送って、陽子も歩き出す。途中同乗していた車掌に呼び止められて、東海道のあまりの剣幕に本人へ渡し損ねた報告書を代わりに受け取り、一路高速鉄道全員が集まる部屋へ足を向ける。職員専用口をくぐり、在来線たちが利用しない通路へさしかかると人通りはまったくと言っていいほどない。ほどなくして行き止まりの先にあるエレベーターに乗り、執務室のある階のボタンを押して重力に逆らう不思議な感覚を味わいながら上へ上がる。階数を重ねるLEDの表示を眺めていると、急に疲労感が肩にのし掛かる。疲労していないような錯覚を覚えたまま、睡眠不足の身体は知らぬ間に疲労を蓄積していたのだろう。到着を知らせる音声と共にドアが開き、自分を目的の階へ下ろす。エレベーターから三つ目の扉が高速鉄道専用執務室への入り口だった。そこまでの距離がいつもより長く感じたが、彼女がいるという事実だけが陽子の足を動かした。
 疲労の身体には更に重く感じられる重厚な扉を開けた先には東の高速鉄道はおらず、東海道が言っていた通り道子がいるのみだった。扉の開く音に気付いた彼女が振り向き、席を立った。
「お疲れ様。報告書整理をしてすぐ戻ってきたんですってね。疲れているでしょうから、休憩にしない?」
「いいわね。紅茶とお茶菓子で。紅茶はなにがいい?」
「わたしがやるわ。座ってて」
 自分をソファへ座らせて道子は給湯スペースへ小走りに向かう。しばらく紅茶を煎れる道子の所作を見ていたが、熱湯を取り扱う段階に差しかかったところで危なっかしさを見て取れて思わずソファから立ち上がり、道子の後ろに立ち覆い被さるようにその手に己の手を重ねた。
「よ、陽子!」
「いつも危なっかしいのよ、あなたは」
「あ、ちょっと……」
 手袋をしていない細い手からポットを取り上げシンクに置き、細い指と薄い手の甲を己の指で撫でる。その感触はなめらかで、いつまでも触っていたい思いに駆られる。その手のなめらかさに比例して高速鉄道の制服に覆われた肌の感触もなめらかなのだろうか。もしかしたら手よりもなめらかかもしれない。指に吸い付くように。
「陽子! なに……や!」
 制服を脱がすことはできなかった。東海道と同じで矜持の高い道子はそれを許さない。だから、何度か戯れに触れた小さな胸のふくらみを制服の上から少し力を込めて押した。わずかな弾力を持つそれはやわらかな感触を手に伝え、心地よささえ感じる。自分とは随分と違う胸の感触。もっとと疲れた思考はその心地よさを求めて、道子の手を握っていた左手もそこへ導く。両方のやわらかなふくらみを下から持ち上げるように掌で包めば、道子の身体がびくりと震えた。
「っ、陽子……やだっ」
 同じ動作を繰り返すと細い身体は自分に寄りかかり、小刻みに震えている。黒い目はうっすらと潤み、そのまま陽子を見上げてくる。それは陽子の本能を煽った。
 もっと触れたい、もっともっとこれ以上と本能は先へ進もうとする。が、その本能は理性に負けた。これ以上はいけない。その先へ進んだからなにかが壊れると理性が訴える。
 そっとふくらみに触れていた手を離し、力が入らないだろう身体を抱き締める。目の前にある細い肩に顔を埋めるとやわらかく跳ねる道子の黒い髪が頬をくすぐった。
「……ごめんね。少し悪ふざけがすぎたわ」
「陽子……」
「思ったよりも疲れてるみたい」
「それなら休んだ方が……」
 道子の提案に首を振って大丈夫と答える。
 大丈夫。先には進まない。顔を上げたらもう大丈夫だから。
「さあ紅茶煎れて休憩しましょう。私が煎れるから道子は座ってて」
「でも……」
「いいから。そうしないと……また揉むわよ?」
「陽子…!」
 顔を真っ赤にして自分の名前を叫ぶ道子はかわいい。いつも思うことだった。
 戯れるように細い身体に触れて、道子は白い頬を真っ赤にして自分の名前を叫ぶ。これが日常。いつもの自分たち。これでいい。この日常が楽しいのだから先に進むことはしない。
 ああ、と天井を仰ぎ嘆きたくなった。同じ陽の名を持つ彼と自分は似すぎている、と改めて実感してしまったから。
「……私も矛盾だらけね」
 嘆きのその言葉はカップに注がれる水音に溶けて消えた。


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 10.05.10


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