甘いのか甘すぎるのか



「携帯変えた?」
 朝のラッシュアワー後に訪れた小竹向原で、西武有楽町が手に持っていた真新しい青い携帯を見て有楽町は思わず問うた。
「こわれてしまってな。む……つかいにくい」
 折りたたみ式のそれを開きメールを打ち始めたようだが、以前の機種と文字等の打ち方が違うらしく眉間に小さな皺を寄せながら携帯とにらめっこをしている。子供の保護者にそっくりだ。その様子に有楽町は口端が緩むのを自覚した。
 しばらくして打ち終え、送信ができてほっとしたのか、ほうと一息つくと眉間の皺も消えた。
「その山羊は?」
 丸みを帯びている小さな指が電源ボタンを押して画面が待ち受けに戻ると、都内では中々見られそうにない景色の画像があった。二匹の動物がおさめられているその画像は元々内蔵されている待ち受け画像とは違うものだろうことは解った。
「そらとみどりだ、かわいいだろう! 武蔵横手駅で飼っているのだ!」
 しゃがんだ有楽町の眼前へ西武有楽町がその山羊を見せつけるように携帯を持ち上げる。確かにその二匹は可愛かった。
「でも、なんで山羊を駅で飼ってるんだ?」
「西武鉄道のかんきょう……ほぜん運動で、そらとみどりが……えーと、しーおーつーというものをへらして……」
「うんうん、なんとなくわかったから。西武鉄道は環境保全に取り組んでて、それの一環でそらとみどりがいるってことでいいんだな?」
 先に続く言葉が見つからないようで頭を悩ませ始めた子供の思考を遮り要約すると、西武有楽町は何度も頷いた。
「西武は色んなことをするなあ」
「うらやましいか! 営団もわれらをみならえ!」
「いや無理だな。オレらの沿線にそういう大きな自然がないから」
 偉そうで自信満々な口調も池袋駅東口側にいる彼にそっくりだ。その彼と接続ができる前まではあまり似ていなかったように思うが気のせいだろうか。
「そうだ、きさまのところにはこういうものもないだろう」
 口調と同じで自信満々な表情をそのままに、待ち受けを見せた時と同じように有楽町の眼前にずいと携帯を差し出した。今度は折りたたまれて。
「流石に携帯は持ってるけど」
「ちがう! ストラップだ!」
 そのストラップを主張するように西武有楽町は携帯を持つ手を上下させた。それに合わせて黄色のストラップも揺れる。
「それって……池袋のところを走ってる車両だよな」
「うむ。つつみ会長の車両だ。われわれは全員おなじのをつけてるぞ!」
「へ、へえ……」
 西武池袋の携帯にも黄色いものが付いていたような、と微かな記憶を引き出しながら青い携帯にぶら下がるそれを手にしてじっくり見てみると、小さいなりに作りはしっかりしているということが解った。環境保全運動、ラッピング電車、記念ヘッドマーク、グッズ販売など西武鉄道を盛り上げ、お客様方に喜んで頂こうと様々なことをやっているようだ。
「こういうのって西武ではどこで売ってんの?」
「池袋駅の売店でうってるぞ」
 そうかと言葉を返しながら、そういえば自分のところにも似たようなものがあったかもしれないと思い出した。まだ営団だった頃に発売された、現在は有楽町線での活躍を終え東西線で走っている07系車両をモチーフにしたもの。民営化前にもう製造は終わり、今の在庫が最後だと聞かされた覚えがある。
「……なんだ、きさまもほしいのか?」
「……は?」
 思考に耽るうちに西武有楽町の口からとんでもない言葉が飛び出してきた。
「そうか、ほしいのだな! きさまはわれら西武にのりいれ、おなじ架線をはしる一員だからな、もっているべきであろう!」
「あ、いや、欲しいわけじゃ……」
「えんりょはするな。今から池袋駅にいって買うぞ。きさまも売り上げにこうけんだ! ぜんはいそげだぞ!」
「ちょっと、西武有楽町!」
 腕をぐいぐいと引っ張られ、タイミングを計ったかのように西武方面から来た西武車両に押し込められた。追い打ちをかけるかのように、和光市方面からの待ち合わせがないせいで無情にもブザーがすぐさま鳴り、扉が閉まった。
 こういう強引さもこれから行く先にいる人物にそっくりだと小さく溜め息がこぼれた。


「なんだ営団、他の路線近くをほっつき歩いているとは余程暇なのか」
 彼の鋭い声にもう返す言葉はなかった。地上の改札近くにあるパンフレットを整理していたこの駅を起点とする路線の彼は手を止めて腕を組み、声と同じように鋭い視線を有楽町へ投げかけてくる。
「西武池袋!」
「……西武有楽町、お前も何をしている。営団を甘やかすなと言っているだろう」
「ち、ちがうんです! 有楽町がこのストラップをどうしてもほしいというので……」
「オレは欲しいなんて……」
 西武有楽町の言葉に池袋の視線が有楽町を向く。その真意を問うかのように作り物めいた黄色に近い金色の右目が有楽町の目を探る。中々外れることのない池袋の視線に自分から逸らしたら負けだと訳の解らない結果に行き着き、更にどうしてよいか解らなくなってしまい外せなくなった。
 不意に池袋の薄い唇がすっと笑みへと形を変える。
「貴様もやっと我が西武に入る気になったか」
「いやいやいや、オレそんなこと一言も言ってないんですけど。メトロのままでいい!」
 むしろメトロのままがいい、という言葉は確実に届いていない。
「手始めに我々との連絡手段でもある携帯を西武のようにせねばな。ついてこい」
 青のコートの裾を翻して池袋が改札横の職員専用口を通りホームへ足を向ける。
 背筋をぴんと伸ばし、長い脚を規則正しく動かし、お客様のいる駅構内で大きな靴音をなるべく立てないように歩く姿は彼の仕事へ対する真摯さだ。今のようにこちらの意見をまるで聞かない言動をするが、仕事に対しては自分も尊敬するほど真面目だと思う。電波が無ければの話だが。
「早くしろ。通常業務に支障が出かねないだろう」
「有楽町!」
 前からの有無を言わさない言葉と後ろからの軽い力に押され、普段あまり踏み込むことのない領域に足を着いた。
 有楽町が駅構内に入ったのを見ると池袋は正面を向きまた足を進める。
 これはもう逃げられない、と実感した。
「さあ欲しいのを選べ。どうしてもと言うなら全種類買ってもいいがな!」
 一番線に近い売店に着くやいなや、池袋は一角を指差した。そこにはストラップやキーホルダーを始め、西武鉄道に関連する様々なグッズが置かれていた。もちろん西武有楽町の携帯に付いているストラップと同種のものもあった。
 ひとまず黄色い電車のストラップを手にしてみると、行き先表示プレートには通勤急行池袋とあった。他はどういうものだろうと見上げてみて、あることに気が付いた。
「……あのさ」
「なんだ」
「黄色い電車でも行き先表示が違うのがあるんだけど」
「当たり前だ。行き先は池袋だけではないからな。池袋から折り返す飯能、小手指、所沢、石神井公園、西武球場前とすべて揃えてある。貴様らの架線へ乗り入れをする6000系には新木場行き、渋谷行きも用意してやったぞ。感謝しろ!」
 そういえば、とまた記憶が呼び起こされる。
「前にも似たようなの作ってなかったか? 車両のマスコットは似たようなので急行、快速、準急、各停ってプレートだけ違うやつ」
「一つで何度でもおいしいというあれか。残念ながらあれの製造・販売は終了してしまったがな」
「……おいしいのはお前らだけだから」
「その話はもういい。さっさと買わんか」
「はいはい……」
 改めて並べられているストラップを眺めた。
 種類は特急、黄色い車両、自分の架線も走るブルーラインの車両、スマイルトレインという愛称の新型車両。
「じゃあオレのところも走ってるし、これで」
 池袋が6000系と呼んでいたブルーのラインが描かれた車両のストラップを選んだ。行き先表示はもちろん自分の駅である新木場。
 選んだストラップを手に池袋へ視線を移すと、切れ長の目が鋭くなる。
「……池袋?」
 その威圧感さえもある視線から逃げたくて隣の西武有楽町へと視線を下げると、こちらも似たような目をしていた。だが、まんまると大きい目では池袋のように鋭くはない。
「な、なに?」
「ああ……会長の素晴らしさが解らないとは嘆かわしい。これだから営団は……。会長、営団は会長の素晴らしさが一つも解らない不貞な輩のようです!」
「どうすればいいのでしょうか、西武池袋……」
「そうだな……」
「解った! 買う、買うから! すみません、これとこれ、これ……あとこれも下さい!」
「三千二百円になります」
「結構高い!」

「有楽町、つけたんだな!」
 翌日、早速西武有楽町は有楽町の携帯に昨日は付いていなかったそれを見つけて駆け寄ってきた。
「あ、ああ。ひとまず二つな」
「おそろいだ!」
 西武有楽町がポケットから携帯を取り出し、有楽町の持つ携帯と並べる。有楽町の携帯にはブルーラインの車両と黄色い車両、西武有楽町の携帯には黄色い車両。
 お揃いという事実に嬉しそうにしている西武有楽町を見て、まあいいか、と有楽町は西武有楽町の柔らかな髪を撫でた。



「……だから先輩はお人好しだって言われるんですよ」
 後輩の言葉に、うるさい、としか答えられなかった。
「そんなに買ってどうするんですか。先輩にだって旧営団07系のストラップがあるじゃないですか。製造された当時、すごく喜んでましたよね」
「そ、それは言うな!」
「僕、覚えてますよ。これ作られたんだ、オレの車両のグッズは初めてだし嬉しいなあ、って」
「だから言うなって!」
 止まることのない後輩の口を塞ごうとしたが、するりとかわされてしまう。
「先輩、あの人たちに甘すぎですよ」
「そうか?」
「……無自覚ですか。あーあ……僕だってチームFラインのストラップがあるのに、先輩付けてくれてないじゃないですか。自社より他社優先ですか、そうですか」
「あれも付けろって?」
「西武さんのは付けてるのに?」
 椅子に座った副都心が茶色の目に懇願の色を全体に込めてこちらを見上げてくる。有楽町は何度目か解らない溜息を吐いた。
「……解ったよ。携帯はもう付けられないからパスケースでもいいか?」
「あ、僕のだけ付けて下さいね」
「それはなあ……西武のを付けてんのに! って東上に怒られそう」
「だったらひとまず現在接続してる三社でどうでしょう」
「……そうするか。また買ってこないと」
「僕持ってるのでどうぞ」
 副都心は自分の鞄から五社合同で企画をしたというストラップを取り出し、有楽町の手に乗せた。
 メトロにも両端で相互乗り入れをしている路線はいくつかあるが、グッズを出したりチーム名を作ったりということは今までない。民営化した後に名付けられた路線だからだろうか。
「これ、千円だっけ?」
「いいですよ。僕からのプレゼントということで」
「……何か要求するとかないよな?」
「そんなことしませんって」
 にっこりと微笑みを浮かべて副都心は首を横に振った。その微笑みは感情が読めないに等しい。これ以上何を言ってもこの後輩は答えないだろう。
「まあ、ありがと」
 どういたしまして、と答えた後輩の表情は未だに感情が読めなかった。

Closed...

 10.03.31


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