日常から抜け出した非日常で気付いたこと
路線における事故というものは、大変の一言で片付けられるものではない。
有楽町は携帯電話を片手に飯田橋駅で項垂れていた。
人身事故が起こったと報告を受けてすぐ小竹向原駅から和光市駅まで共通の架線を使う副都心への緊急連絡。次にメトロ本社へ報告。その次は乗り入れ先の西武池袋と東武東上に直通運転の中止の連絡を。その合間に上から振替輸送先の名を告げられ、立ち往生する乗客への案内も忘れずに。以上が30分前のことだった。
近頃は池袋線や東上線での事故により多少の影響を受けることはあったが、自身の管轄駅での人身事故は久しぶりだった。
ひとたび事故が起これば乗り入れ路線にも影響が及び、遅れは拡大していく。回復が早ければダイヤの遅れも取り戻せるが、事故の規模によっては終電車まで遅れることもある。また、乗客の不満や苛立ち、駅員の負担の増加、振替輸送など問題はダイヤの乱れだけではない。人身事故に限らず運転見合わせになるほどの事故は起きて欲しくないな、と自然と溜息が漏れた。
携帯をポケットにしまい、先ほど上からの報告にあった内容を反芻する。
池袋線と東上線には大きな影響はないだろう。だが、自分と池袋線を結ぶあの子供は止まってしまった。上からの報告の中に運転見合わせという言葉があった。どうしているか気になって、ホームの端へ寄り、また携帯を取り出して目的の電話番号を電話帳の中から見つけ出し、発信ボタンを押す。今車両内にいるとしたら出ないかもしれない。だが、三コールで相手は出た。
「……ごめん、西武有楽町」
申し訳なさが大半を占めて、相手が何かを発する前に出た言葉は謝罪だった。
『……きさまがあやまることではない』
「でも、止まってるだろ?」
『そうだが……きさまのせいではなかろう! わたしは大丈夫だ!』
気丈だ。変わらない声の調子にいつもの気丈に振る舞う子供がすぐに思い浮かんだ。外見とは裏腹に時々大人な部分が出てくる。後輩に見習って欲しい部分だなと溜息が漏れそうになった。
「今どこにいるんだ?」
『小竹向原だ。おきゃくさまへの案内をしたりしている。さっき副都心にもあって、うんてんさいかいをしたと聞いた』
「そうか」
後輩は早く運転再開が出来たようで安心した。遅延や変更はしばらく続くだろうが、走り続ければ元のダイヤに戻れる。
「じゃあ西武有楽町も運転再開だな」
『うむ。有楽町もなるべくはやくうんてんさいかいするんだぞ』
「ああ」
運転再開をしたらまた連絡すると伝え、通話は終わった。
携帯をポケットに仕舞い、ここでやっとほっと胸をなで下ろしたことに気付いた。後輩のことは勿論、あの子供のことが自分で思っていたよりかなり気になっていたようだ。
だが、もう杞憂はない。西武有楽町はいつもと変わりなかった。そろそろ副都心が到着し、直通が再開された直通列車を池袋線まで導いてくれる。おそらく明るくとぼける副都心の相手をして大きな声をあげているかもしれない。
安易に想像できる二人にふっと笑いが漏れた。
早く行ってやらないと。
それから一時間後やっと運転再開をし、小竹向原で待っていた副都心と西武有楽町に報告をし、和光市では東上にお疲れと言われ、再開して一番の池袋線直通列車で西武有楽町と一緒に練馬へ行ったら池袋から小言が降ってきた。しかし、数日前に池袋線でも人身事故が起きたばっかりだったのもありその小言は軽いものだった。路線である自分たちは、未然に防止するのが難しい人身事故の大変さを知っている。
「今日もお疲れ」
その言葉に池袋は目線だけ寄越し言葉は何もなかったが、充分だった。それが池袋という人物だと解っているから。
身動きの取れなかった場所から離れ、副都心、西武有楽町、東上、池袋に会って、やっと日常に戻ってきたと実感できた。
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